【無惨】墓地にされたオリンピック施設!サラエヴォ五輪跡地

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【無惨】墓地にされたオリンピック施設!サラエヴォ五輪跡地
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紛争の跡地!華々しいオリンピック会場が無惨な廃墟と化したサラエヴォ五輪跡地

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【サラエヴォオリンピックとは】


1984年2月8日~2月9日にユーゴスラビア(現:ボスニア・ヘルツェゴビナ)のサラエヴォで開催された第14回冬季オリンピックです。

規定の変更により、入賞枠が6位から8位までに拡大された初の冬季オリンピック大会であり、また共産圏として初開催の冬季オリンピックです。

【サラエヴォvs札幌】

サラエボオリンピックの開催は1978年5月18日にギリシアのアテネで開かれた第80回国際オリンピック委員会総会で決定された。 サラエボ、イェーテボリ(スウェーデン)、12年ぶり2度目の開催を目指す札幌(日本)の3都
市が立候補し、終盤まで激しい誘致合戦が繰り広げられた。既存の施設がほとんど利用できるとされた札幌が一時は最有力とも伝えられ、実際IOC委員による第1回目の投票では最も多い票数を獲得していたが、結局、大会会場をコンパクトに集約したサラエボが決戦投票で逆転し開催権を獲得した。

出典 http://ja.wikipedia.org


【オリンピック競技場崩壊の経緯】


サラエヴォオリンピックのプロジェクトは、国の威信をかけて行われたと伝えられています。
その当時、国内はいわゆるオリンピック景気に湧き踊り街は活気に満ちあふれていました。

ところが、ことの成り行きで崩壊へと導かれてゆきます。

それは、サラエヴォオリンピック閉会の7年後1991年のユーゴスラビア紛争です。

ユーゴスラビア解体という動きに伴いボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が勃発しました。国内全土にわたり戦闘が繰り広げられました。

このためオリンピックのメインスタジアムなど多くの競技場は無情にも破壊されてしまいました。

これにより破壊された施設は廃墟と化し、墓地にされた施設まであったということです。

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【サラエヴォ五輪跡地は今どうなっている?】


戦後に破壊された施設のいくつかは再建されたものもありますが、ほとんど大半は破壊された打ち捨てられ廃墟のまま街に取り残されています。

ボブスレーやリュージュのコースにおいては、あちこちに落書きされ放置され、今では森に飲み込まれるように自然と同化が始まっています。

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【サラエヴォの観光】


サラエヴォ2006年のロンリープラネットの「世界の都市」ランキングでは、43位にランクインしているほど観光産業が盛んです。

サラエヴォの気候はウィンタースポーツに適しているためスポーツ関連の観光産業では、前記した1984年冬季オリンピックの設備をもとに、特に付近のビイェラシュニツァ山、イグマン山、ヤホリナ山、トレベヴィチ山、トレスカヴィツァ山のスキー施設を用いています。


【まとめ】


今回は、廃墟をテーマに執筆したのでサラエヴォの美しい街並みは書きませんでしたが、サラエヴォの観光に関しては、またあらためて書き足したいとおもいます。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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